センター現代文一問一答必修編

第5講 評論

次の文章を読んで、後の 人間の生活空間のなかに知覚さ いま、私が まれて以来ずっと住み 松の木、その少し左手に小さな池と泳い 口に過ぎない。見慣れた入口だけ らば犬や かしふとした瞬間に、私は松の木を見て、昔、ま 出し、父と一緒に土を掘り、石で囲んであの池をつく たときの光景を思い出させる。このとき私はいま見ている 景に重ねて見ているのである。 は私たちが、 例えば角にある建物に隠れて、 止まっているバスの前 と見て急いで駆けていくときの「バスを見る」ときの見ると同じであ しかし前半部だけを見 、私は止まっているバスそのも を見ているのであ 前半部分ではなくて、バスのイメージそのもの全部を見ているのである。 イメージとはラテン語の いはプラトンのいうイデア、アリ トテレスのいう 膜の上では前半部しか見えていないバ を、心のなかではバス 全体の姿、形、パターン、 第5

制限時間

i イ マ ー ゴ mago が語源で、

4 分

A これは決して

雀 すずめ でも見ているし、私自身も多くのばあいはこ 比 ひ 喩 ゆ 的に「見ている」というのではなくて、ほんとうに見て るの 姿 すがた であり、外の事物に似た心のなかにある形であり、ばあいによっては、概念ある 形 エイドス 相 、現代風にいえばパターン認識のパターンと解釈することができる。網

眼 め の網膜に映じているのは車の前半部だけである。

実施日:

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