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孔子のたまへるこ
ひとへに君に
随
したが
ひ奉る、忠にあらず
。ひとへに親に随ふ、
孝にあらず。あらそふべき
べき時随ふ、これを忠とす、こ
しかれば、主君にてもあれ、父母
てもあれ、知音、朋友
悪し
むことをば、必ずいさむべきと思へども、
世
の末にこのことかなはず
。人の習ひにて、
思
ひ立ちぬることをいさむるは、心づきなくて
、
言ひあはする人の、心にかなふやうにもおぼ
ゆれば、天道はあはれとも
思
おぼ
すらめども、主
人の悪しきことをいさむる のは 顧みを
蒙
かうむ
ること、ありがたし。さて、することの悪し
きさまにもなりて、しづかに思ひ出づる時は、
その人のよく言ひつるものをと思ひあはすれ
ども
、また心の引くかたにつきて、思ひたる
孔子がおっしゃっ
し上げるのは、 忠ではな
孝ではない。逆らわなければ
ならない時は従う、これを忠とし
だから、主君であろうが、父母、親
であろうが、悪いようなことを、必ず戒め
うけれど、末世ではこのことはできない。人の
人が
やろうと決意したことを
他人が
戒めるのは、
戒められた人にとっ
て
気に食わなくて、一緒に賛同してくれる人が、好ましが
ようにも思われるので、天の神はしみじみ感心だとお思いに
かもしれないが、主人 悪い点を戒める者は、
主人に
引き立てら
れることがめったにない。さて、することが悪い状況になって、
落ち着いて思い起こす時は、ある人がよくぞ諫言してくれたなあ
と思い当たることがあったが、また
何か自分が
心惹かれることに
ついて、やろうと思ったことがある時は、
いつも戒める人のこと
が
わずらわしく、また戒めるのだろうと思って、このことを聞か
第
10講『十訓抄』




