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今は昔、川原の院

み給ひける家なり。陸

りて、潮の水を汲み入れて

り。様々にめでたくをかしきこ

りて住み給ひけるを、その大臣失せ

その子孫にてありけ 人の、宇多の院に

たりけるなり。然れば宇多の院 その川原の

院に住ませ給ひける時に、醍醐の天皇は御子

におはしませば、度々、行幸ありてめでたか

りけり。

さて院の住ませ給ひける時に、夜半ばかり

に、西の対の塗籠を開けて、人のそよめきて

参る気色のありければ、院見遣らせ給ひける

に、日の装束うるはしくしたる人の、太刀帯

きて笏取り、畏まりて二間ばかり去きて居た

りけるを、院「彼は何人ぞ」と問

今はもう昔のこと

てお住まいになった家で

庭は

陸奥の国の塩竃の形を

まね

造って、海水を汲み入れて、

らしく、趣の限りをつくして住み

なった後は、 その子孫にあたる人が、

た。そこで、 宇多院がその川原の院にお住

醍醐天皇は院の御子でいらっしゃるので、たび

があり、この上なくめでたいことであった。

さて、院がお住まいになっていたときに、ある夜半ほ

西の対屋の塗籠の戸を開けて、誰かがそよそよと衣ずれの音

させてやってくる気配がしたので、院がそちらに目をおやりに

なると、朝廷での昼の正装(=束帯姿)を端然とした人が、太

刀を腰に帯びて笏を手に持って、かしこまって二間ほど離れた

所にいたが、 そこで院が「そこにいるのは誰か」 とお尋ねになっ

たところ、 「この家の主の翁でございます」と申し上げるので、

院が「融の大臣か」とお尋ねになったところ、 「さようでござ

第4講『今昔