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問八
ここまで
時代に成立した
と
『土佐日記』
か
『蜻蛉日記』
げ
の
入
『和泉式部日記』
れ
墨
紫
『紫式部日記』
さ
『更級日記』
、
ぬ
『讃岐典侍日記』
き
ぬき
日記文学最初の作品である
『土佐日記』
は紀貫之の手になるもので、彼
和歌集』の撰者としても有名。ま
『
蜻
かげろう
蛉
日記』
の作者、
藤
ふじわらみちつなのはは
原道綱母
は夫藤原
兼
かねいえ
家
の浮気に苦しみ、そうした夫婦の愛憎関
子道綱との生活を日記に赤裸々に書き綴って
『
和
い ず み し き ぶ
泉式部
日記』
の作者、和泉式部は、紫式部と同
様に中宮彰子に仕えた女房の一人であり、歌人と
敦
あつみち
道
親王との恋愛日記。
『紫式部日記』は、 『源氏物語』を書いた紫式部の
『
更
さらしな
級
日記』
の作者、
菅
すがわらたかすえのむすめ
原孝標女
は、菅原道真
の子孫で、大変な文学少女だった。 『源氏物語』を手に
『
讃
さ
岐
ぬき
典
の す け
侍
日記』
は平安後期の日記で、作者は藤原
長
ちょうし
子
。
問九
直前に「いと思はずにほけづき、かたほにて、一文字をだに引かぬ
ろから、紫式部は同僚の女房たちから、かなりぼんやりした未熟な人だ
れは紫式部が実際に出仕してからのまわりの女房たちの判断であり、設問では
どのような人物と想像されていたのか」が問われているので、
解答の根拠は、
13行目の「参りけるはじ
解答
1




