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らせ給へり か参らすべき』
しきものは、何か侍
らせ給へかし』と申し
せられけるを承りて、 『源
るこそ、いみじくめでたく侍れ
れば、また
「いまだ宮仕へもせで里に侍りける折
かるもの作り出でたりけるによりて 召し出
でられて、それゆゑ紫式部といふ名は付けた
り、とも申すは、 いづれかまことにて侍らむ。
その人の日記といふもの侍りしにも、 『参
りけるはじめばかり、 恥かしうも心にくくも、
また添ひ苦しうもあらむずらむと おのおの
思へりけるほどに、いと思はずにほけづき、
かたほにて、一文字をだに引 ぬさまな け
れば、かく思はず、と友達ども思はる』など
こそ見えて侍れ」など言へば………
『珍しい作
何もござい
。新
しく作って差し
上東門
院が
『それでは、お前が
受けして
紫式部が
『源氏物語』を作ったと
らしいことです」という人が
「
紫式部が
まだ宮仕えもしないで、自分の家
きに、 このような物語 (= 『
源氏物語
』 ) を作り出したことによっ
て、
上東門院のもとに
召し出され、そのために
『源氏物語』に
ちなんで
紫式部という名前は付けたのだ」とも申します
どちらが本当なのでしょうか。
その人の日記というものがございましたのにも、 『
上東門院
に
参りました初めのころ、
私のことを
気が置けもし、奥ゆかし
くもあり、また一緒にいたら気詰まりでもあろうと、周囲の
女
房たちが
思っていたころに、
実際の私は
意外にぼんやりしてい
て、未熟であって 「一」という文字さえも書き切らないよう
な様子だっ ので、こうだとは思わなかったと、友人たちに思
われた』などと見えております」などと言うと、
・・・・・・