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ふるさとの荒れたる
きつる歌共、いと多か
。そはいみじかりつ
る都の年経てあらずなりぬ
己
おの
が住
めりし里など、いつしか異やう
見ては、おのづからあはれ催すべか
が生まれつる所は、四つ屋といひて、
公
おほやけびと
人
などいふかひなきものの
彼
かれこれ
是
住みわたりつれ
ど、かやぶき板屋などむねむねしからず。大
方田舎めきよろぼひたる家ども打ちまじれり。
一とせ如月のつごもりばか 、此わたりを行
きかひしけるついでに、入りて見けるに、昔
すめりし家のあとは草むらとなりぬ。そこは
かとなく分け入るに、しかす に庭とおぼし
きわたりは植木など枯れ残り敷石所々にあり。
いたく苔むしたる井筒に立ちより見れば、水
のみ昔にかはらず澄めり。
かの「
あ
るじ顔な
住み慣れた土地が
歌が、たいそう多い。そ
栄えていた
都が年を経
て
面影も
なくなってしまった様子や、
どが、いつの間にか
見覚えのない姿に
変わってしまっているのを
見ては、自然としみじみとした感慨を
うだ。私が生まれた所は、四つ屋と って
りない身分の者があれこれ住み続けていたけれ
きの家などがしっかりもしていない。大体、田舎び
かかっている家などが混じっている。先年、旧暦二月の
この辺りを行き来することがあった機会に
旧宅に
入って見たと
ころ、昔住んでいた家の跡は草むらとなっていた 特にどことい
うこともなく草を分け入ると、そうはいっ も庭と思われる辺り
は植木などが枯れ残 敷石も所々にある。ひどく苔の生えた井戸
の囲いに立ち寄って見ると、水だけは昔と変わらず澄んでいる。
あの『源氏物語』の明石の尼君が久しぶりに戻った旧宅で「
遣水
がまるで主人ぶって昔のままである
」と詠んでいたのももっとも
第
9講『井関隆




